日本でも指折りの中華料理人、古田等氏が、12月19日の「プロフェッショナル」に再び出演されます。22歳のときから岐阜の岐阜市鷹見町でお店をだして、31歳のときからオリジナル中華(ヌーベルシノワ)に目覚め、多くのプロの料理人、料理研究家の舌をうならしている中華料理の達人です。古田等氏のお店「開花亭」「Furuta」の場所や、前回の放送内容をまとめました。
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古田等氏のお店
古田等氏は、岐阜でお店を開かれて、ずっとその場所から発信し続けて全国レベルになりましたが、2014年に岐阜のお店「開花亭」を長男に任せて、ご自身は銀座に、「Furuta」というお店を出されています。
開花亭
開花亭は、
- 岐阜県岐阜市鷹見町25-2
- 058-264-5811
- 11:30~14:00
- 17:00~20:30
- 定休日 月曜日
岐阜市役所の裏にあるお店のようです。岐阜駅からタクシーに乗る時は、「市役所の裏の中華屋さん」で通じるようです。3階建てのコンクリート打ちっぱなしの中華料理やさんとは思えない外装です。昼も夜もされていますが、昼のランチは、普通の中華料理屋さんと同じで、夜はコースがメインになるようです。
昼のメニューは、
- 坦々麺 700円
- 坦々麺セット 800円
- 涼麺 700円
- あんかけ焼きそば 700円
夜のメニューは、
- コース 6000円、10000円、15000円~
- 四川しゃぶしゃぶ 6000円
このほか、一品料理がたくさんあります。本格的な中華料理屋さんになりますので、単品でも1000円以上はします。
furuta
Furutaは、
- 東京都中央区銀座1-21-14
- 03-3535-5550
- 17:00~20:30
- 定休日 日、月
- 完全予約制
- カウンター席 8席のみ
食べログの評価は、4.61とかなりの高評価です。夜しかやっていなくて、完全予約制のカウンター席8席のみですから、かなりレベルの高いお店です。メニューは、コースのみで、3万円、5万円、7万円、10万円の4コースから選ぶことができて、〆の食事メニューは10種類の中から選ぶことができます。厳選された食材を使って至高の調理で味付けをした中華料理だと言えます。古田等氏はワインがお好きなようで、かなりの種類のワインを置かれているようです。10万円コースを二人で頼んで、飲み物込みで28万円という豪快な方もいるようです。人生の記念日に一度は行ってみたいお店です。
古田等氏の経歴
古田等氏は、
- 1956年生まれの60歳
- 岐阜県出身
古田等氏は、3人兄弟の末っ子として生まれて、小学校のころから料理人にあこがれていたそうです。お母さんの手料理がとてもおいしくて、高校卒業後は都会に出て有名料理店で働いてゆくゆくはお店を、と思っていらっしゃったようです。しかし、残念ながら、おいしいりょうりをつくってくれたお母さんが高校三年生の時に亡くなられて、お父さんを一人残しての上京をあきらめたそうです。そして、地元の料理専門学校に入られて、地元の中華料理店で働いていたそうです。
22歳のとき、その中華料理店が閉店してしまい、借金して自分のお店をだしたそうです。
古田等氏の転機は、31歳のときでした。中華料理の鉄人、陳健一氏の父親の陳健民氏の料理を目にして、味わったことで衝撃が走りました。古田等氏も陳健民氏のようなオリジナル料理を作っていこうと思ったんです。その頃には、借金も返し終わっていたので、オリジナル中華のお店にしました。それから、いろいろな有名料理をアレンジしたり試行錯誤されましたが、最後にはお母さんが作ってくれた地元食材を使った料理に戻ってきたそうです。その時に考えていたことは、お客さんから「おいしい」の一言をもらうことだったと話されています。
二度目の転機は、お店を開いた17年後です。料理評論家として有名な門上武司氏が開花亭を訪れて、その美味しさに絶句したそうです。そこから、多くの料理人や食通、評論家に知れ渡っていって日本でも有数の中華の達人として名前が知れ渡りました。
上にも書きましたが、岐阜の開花亭は、長男に譲って、ご自身は銀座に進出して新たなる道を歩いています。次男の方もフランス料理店を開業されているようです。
古田等氏の仕事の流儀
前回のプロフェショナルで話されていたことをまとめます。
古田等氏は、いわゆる都会の名店で修業されていませんので、ずっとそのことがコンプレックスになっていたと話されています。その想いがあったので、陳健民氏の料理を食べた時に衝撃を受けたのではないでしょうか。定番と言われている料理を、都会で修業しなくても地元でオリジナルの料理を作っていけば、都会の料理人たちと競っていけると考えられたんだと思います。その当時の古田等氏の頭の中では、「立ち止まるな、ただ掘り続けろ」と繰り返し自分に言い聞かせて腕を磨いていきたと話されていました。
その想いが通じて、料理評論家の門上武司氏との出会いにつながると思うのですが、多くの方「おいしい」という声を聴いて、「僕は僕で良いんだ」と思えるようになったと話されていました。つまり、古田等氏のむいている方向が、都会の料理人ではなくて、古田等氏の料理を食べる人に100%向かった瞬間だったと思います。
そして、それまで行ってきた「シェフズテーブル」を進化させて2014年に銀座に「Furuta」を出店したんです。「シェフズテーブル」というのは、1ヵ月に一度、一組のお客さんをまねいて料理をだす席のことです。そこでは、お客さんの「おいしい」をひきだすためにいろいろな工夫をしていって、ご自身の腕を上げていったと話されています。やはり、直接、お客様の声を聴くということは、非常に大事な事じゃないかと思います。どうしても、自分よがり、自分の好きな味付けの料理になってしまって、おいしさの押し売りみたいになってしま宇人がおおいですが、多くの人に万遍なくおいしいと言ってもらうように、努力をされているようです。
古田等氏は最後に、座右の銘を話されていました。それは、
「もっとできる、まだ先はある」
です。お客さんが「おいしい」と言ってくれたから、それで満足じゃだめだ、まだ何かできるのではないか?と話されていました。そして、古田等氏の考えるプロフェッショナルは、
「どんな職業でも、やはり自分の目標イコール楽しみながらやる夢を持って、それを実現していくっていうことがプロフェッショナルかなと思います。」
と話されていました。
以上、中華料理の達人、古田等氏のお店や経歴などの情報でした。
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