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加藤友朗先生(多臓器体外摘出腫瘍切除)のプロフィール。ドクターXのモデル!

2月25日の「世界一受けたい授業」に、神の手を持つスーパードクターと言われている加藤友朗(かとうともあき)先生が出演されました。

ドクターXのモデルとしても名高い加藤友朗先生は、6個もの多臓器体外摘出腫瘍切除の手術をされたことで、世界中に名前が響き渡っている名医です。加藤友朗先生のプロフィールや本、番組でのお話しなどをまとめました。

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加藤友朗先生のプロフィール

加藤友朗先生は、

  • 1963年生まれの53歳
  • 東京都出身
  • 東京大学薬学部卒業

小さいころから、外国で仕事をするのが夢だったのと、中高生の時に、ワトソンとクリックの本を読んで分子生物学が好きになられたと話されています。その流れで、加藤友朗先生は、東京大学の薬学部に入られますが、勉強されている時にこれはちょっと違うと思われたそうです。

そして、東大を卒業されてから、大阪大学医学部に学士入学されています。医師になることに決められたんですね。

その後、兵庫県市立伊丹病院で研修医になられて、1996年に、マイアミ大学医学部にクリ二カルフォローとして渡米されます。初めはいじめみたいなものにも会いますが、1997年には、小児移植外科学准教授になり、2007年から2008年に、コロンビア大学に移籍されます。

現在は、コロンビア大学付属ニューヨーク・プリスビテリアン病院肝小腸移植外科部長、コロンビア大学医学部外科学教授などをされています。

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加藤友朗先生の渡米

今では、世界的な名医となって、世界中を飛び回っているスーパードクター、神の手と言われていますが、渡米した時は、クビになりかけたそうです。

その理由は、早口の英語だと話されています。ドラマでもよくありますが、急患が来た時は戦場のような騒ぎになりますよね。通常の時も病気やけがの時は早口になります。加藤友朗先生は、その英語が聞き取れなくて何もできなかったので、要注意の研修医としてマークされていたそうです。

ですが、加藤友朗先生は、それに負けずに、日本人らしい所を出していかれたそうです。

それは、人が嫌だなと思う仕事を率先してやったり、朝から晩まで勤勉に仕事をされたそうです。患者さんにも、普通なら電話で済ますのに、よく聞き取れないので直接会いに行かれていたそうです。その姿が患者さんや看護師さんたちに好評価で、クビにされることを免れたそうです。

加藤友朗先生の転機は、その5年後に来たそうです。指導医の先生が執刀医をする手術の助手になったのですが、通常、5年目となると第一助手になるようなのですが、その時は、第三助手だったそうです。第二助手が二年目の若い先生でした。

そして手術が始まりました。

若手の第二助手の先生がもたもたして止血がうまくできなかったそうです。加藤友朗先生が見かねて、その助手と交代して完璧に、すばやく止血をしてしまったそうです。それを指導医の先生が見られていて、その時から扱いが全く変わって、意見もよく聞いてくれるようになったそうです。

さらに、転機が訪れます。次に紹介する手術で世界的に名前が知れ渡りました。

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多臓器体外摘出腫瘍切除

加藤友朗先生は、「多臓器体外摘出腫瘍切除手術」で世界的に有名になられました。

その多臓器体外摘出腫瘍切除の手術を今までに4回されているそうです。

一人目は63歳の女性、二人目は7歳の女の子。世界的に有名になったのは、二人目の7歳の女の子ですが、一人目の63歳の女性の手術の時に、加藤友朗先生の医学会でのステータスは、一躍、上がられたそうです。

63歳のその女性は、平滑筋肉腫と言う病気で、体の奥底に腫瘍があり、しかも、7cmのその腫瘍が大動脈から来ている大きな血管を巻き込んでたそうです。

他の病院ではどうしようもないということで、加藤友朗先生の所に回ってきたのですが、何か方法はないのかと考えられたそうです。

加藤友朗先生が考えられたのが、それまでやってきた数々の腫瘍の切除手術と、臓器を体外に取りだす手術を融合させることだったと話されてます。

しかも、加藤友朗先生はそのどちらの手術も何百例とこなしてきていたので、いけると考えられたそうです。そして、63歳の女性の体から腫瘍と臓器を一緒に取り出して、外で切除をしてもう一度体の中に戻したんです。結果は、大成功でした。

次の7歳の女の子の場合は、もっとすごいです。体の中から、6個の臓器を取り出しました。胃、すい臓、ひ臓、肝臓、大腸、小腸。これを全部出して、腫瘍を切除してもう一度体内に戻されました。もちろん、大成功です。いまでもその女の子は、元気に暮らしています。

加藤友朗先生が移植手術を成功させたのは、日本とアメリカの二つの違いに関係していると話されてます。

一つ目は、手術数です。日本の移植手術は2015年に315件しかなかったのですが、アメリカでは24980件もあったそうです。その理由は、アメリカでは臓器提供することに抵抗がないためだと話されていました。

もう一つは、日本とアメリカの医師免許が違いがあると話されていました。有効期限があって、免許の更新があるそうです。なので、技術をずっと磨いていかないといけないってことですね。

番組では、2010年のベネズエラの生体肝移植のVTRが流されました。父親の肝臓を子供に移植されてました。また、日本人の生後11か月の腸ねん転の子供に移植手術をされてるVTRが流されました。

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加藤友朗先生の考え方

加藤友朗先生の手術に対する考え方は、止血を丁寧にするということだと話されています。

何も特別なことはしていなくて、基礎をしっかりしているだけと話されています。出血が少なければ、それだけ回復が早くなるので、心がけているそうです。

ただ、実際には、1mm以下の血管を、1回の手術で5000本もつなぎ合わせたりするわけですので、神の手ですね。普通の人にはムリなのではないでしょうか。

そして、普段からジーンズ姿が多いようで、白衣をなるべく着ないようにされているそうです。これは、白衣を着ることで、お医者さんだと思われてしまうと、患者の方が委縮してしまったり、権威を感じてしまうので、なるべくフランクに話をしたいためにされているそうです。

また、基本的に、どんなオファーでもNOと言わないことをモットーとされているそうです。まずは、どうにかならないか、何か方法はないかをまず考えてみるそうです。若い人たちにも、まずは、あきらめないで、何とかできないか考えてみることを勧められています。

そして、枠からはみ出して考えることが大事だと話されています。既存の考え方、方法では解決できないことが沢山あります。それをNOと単純に言うのではなくて、枠からはみ出して考えることで解決策が浮かび上がると話されています。

その考えのためと、多くの貧しいひとたちのために、ベネズエラとか、南米に行かれて移植手術を数多くされています。

アメリカで移植手術ができると判っていても、外国人がアメリカで手術をする場合、法外な金額を請求されるそうです。

そのためにも、そういった国々に出張して、加藤友朗先生の技術を伝えていくことも使命だと話されています。

「世界一受けたい授業」では、加藤友朗先生の理想の手術は、「退屈な手術」だと話されました。早く終わらせることが大事ではなくて、止血を丁寧にすることで、見ている側にとっては退屈な手術をすることが理想だということです。

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加藤友朗先生の著作

そんな人格的にも技術的にも神の様な加藤友朗先生ですが、著作を出されています。

上の2冊は、加藤友朗先生がしてきたことをまとめた本で、下の1冊は、仕事への姿勢、取り組み方などを書かれているそうです。良かったら、読まれてみてはどうでしょうか。

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2月25日の放送の内容

日本では、臓器移植の数が増えていると言っても、年間で336件の様です。その理由は、臓器提供者の数だと話されていました。

提供者の数が日本ではかなり少なくて、スペインでは、39.7人(100万人当たり)なのですが、日本では0.7人(100万人当たり)しかいないそうです。

そもそもの考え方の違いから来ているようです。スペインでは、提供しないという意思提示がないと提供してもいいとされてしまうようです。日本では、その逆だと話されていました。

番組では、1歳の男の多臓器同時移植の映像を流されていました。生後わずか1日で蝶がねじれているという腸ねん転と診断されて、何回かの手術で腸が7cmになってしまったそうです。

日本では、年に4件くらいしか提供者が現れないので、昨年の12月に加藤先生の病院に移動したそうです。奇跡的な幸運なことに、1日でドナーが現れて加藤友朗先生が手術されたそうです。手術は成功して、3週間後には口から物を食べれるようになったそうです。

加藤友朗先生は、初めて会う患者さんとは、最初に無駄話をするという事を話されていました。

母親の小腸を小学生の息子に移植する手術の映像も流れました。

加藤友朗先生は、小さいころには医師になりたいと思っていたんですが、大学は関係ないところに進学されたそうです。

では、なぜ、医師になろうと思ったのかというと、そのきっかけは新幹線の車内放送だったようです。ある時、新幹線に乗った時に、「車内にお医者さん、いらっしゃいませんか?」と言うアナウンスがありました。

その時に、こういう場合に出ていける人になりたかったと思いだして、医学部に入り直されたと話されていました。

最後に、免許証の裏面などにもありますが、臓器提供の意思をはっきりさせておいてもらいたいと話されていました。

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まとめます。

2月25日の「世界一受けたい授業」に世界的な名医、加藤友朗先生が出演されます。

6個の臓器を体から取り出して、腫瘍を切除してから、もう一度戻すといった、神の様な手術をされた方です。もちろん大成功されて、その7歳の女の子は元気に暮らしています。

2016年の9月17日にも出られて、素晴らしいお話を聞けることができました。今回も、さらに、いろいろな事が聞けると思いますので、番組終了後、載せていきます。

アメリカのドラマ「グレイズ・アナトミー」や日本の「ドクターX」のモデルになった名医です。

9月17日の放送の最後では、加藤友朗先生は、ドナーになる確率と、移植が必要になる確率が同じではないかと話されていました。

つまり、日本でも、もっと多くの方が移植手術に対して前向きに考えてもらいたいと考えられてると思いました。それを聞いて、私の家族の中にも、そういうものがいますので、ぜひ、多くの人に、これから考えていっていただきたいな~と感じました。

以上、世界的名医の加藤友朗先生についての記事でした。他にも活躍されている名医の方は沢山いらっしゃいます。

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この記事を書いた人
とし

こんにちは、としです。
 
昭和36年生まれで、現在は62歳です。
 
何回も転職を繰り返し、4度目の会社の社長からのきつい言葉がきっかけで脱サラしました。
 
52歳のときでした。
 
脱サラしたときに、40歳からの10年間は何だったんだろう?としみじみ後悔しました。
 
40代のときに何をやるべきなのか、どういうことを考えていくべきか、その有無でその後の人生がだいぶ変わってきます。
 
その気付きから、こころ認定や終活ガイド、P検、安全運転能力検定などの資格を取りました。
 
現在は、ライフタイムアドバイザーとして日々努力を積んでいます。
 
40代は、人生の中でもいちばん楽しくてキラキラしています。
 
何を考えていけば良い結果が出るのか、わかりやすくお伝えしていきます。

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