博多の「ふくや」の川原正孝社長が「カンブリア宮殿」で話した経営の戦略とは?
「ふくや」は全国に知られた明太子の老舗の大企業です。川原正孝社長は「ふくや」の4代目社長です。父親の川原俊夫さんが明太子を作って創業した「ふくや」を、年商180億円まで成長させたのが、川原正孝社長です。明太子を全国区に押し上げた戦略を見ていきましょう。
明太子が全国区になるまで
今でこそ、明太子と言えば、福岡県の博多の名物で、殆どの人が食べたことはあるし、名前は小学生でも知っていますよね。
しかも明太子が博多のものって知っている子供も多いです。
でも、明太子が昭和になってからできたっていうと、驚きませんか?
しかも、昭和24年ころから作られ始めて、昭和34年くらいにやっと全国的に売れ出したんです。
決して、江戸時代からとか大昔の時代から明太子があったわけではないんです。
実は、初代社長の川原俊夫社長が作った言葉なんです。
川原俊夫初代社長は、戦争に巻き込まれて、奥さんと共にしばらく韓国で暮らしていたんです。
終戦後、福岡の中州に帰ってきました。
その時点で、戦争から帰ってこれたことで、これからの人生を人のために生きると決意されました。
そして、中州にお店を構えて、初めは味付き数の子を売ります。
ある時、奥さんが「韓国で食べていたタラコ、おいしかったね」と、ひょっと云った事が、明太子の始まりだったんです。
韓国では、タラコにキムチの様な辛いたれをつけて食べていたそうですが、奥さんがそう言うたことがきっかけで、その辛いタラコを川原俊夫社長が作ってみようと思ったんです。
じつは、韓国語のスケトウタラは「明太(ミョンテ)」と呼ばれていて、それが日本語で、「メンタイ」に聞こえたようです。
タラコは、スケトウタラの子供(卵)だから、「明太子」と川原俊夫社長が名づけたんです。
ですから、明太子で通じるのは、日本だけですし、戦後にできた言葉だったんですね。
初めに造ったのは、美味しかったんですが、とても辛かったと言います。一応店先に並べましたが、イマイチパッとしなかったそうです。
その当時の日本では、塩漬けのたらこしかなかったんで、辛くして食べるという文化がなかったんです。
それ時から、日本人の口に会うように工夫する試行錯誤が始まります。
福岡で行われる会合や、参加している全国区のボランティア活動のたびに、サンプルみたいな感じで持っていって、いろんな人から参考意見をもらって改良していったそうです。
それから10年経って、やっと認知度も上がってきて売れ始めたそうです。
その時のきっかけは、新幹線。
福岡まで新幹線が通るようになって、出張にきて食べたあの味が忘れない人がだんだん増えて行って、福岡と言えば、明太子というようなイメージが持たれたと話されています。
次に川原俊夫社長がしたこと
次に川原俊夫社長がしたことは、独り占めにしなかったっていうことです。
人気が出てきたので、多くの人が福岡にやってきて、明太子を買うようになったので、卸してもらいたいという話が来たんです。
それを断って、レシピを教えてあげたんです。
仕入れ先、仕入れ方、作り方など惜しげもなく教えてあげて、多くの人が作れるようにしたんです。
ただ、一点だけこだわっていました。それは味です。
他は真似しても良いけど、味はその人独自の味で勝負してくれと言ってたようです。
ですから、今でも、「元祖明太子」とか「本家明太子」というものはないんです。
根本的な考え方で、元祖だから売れるという訳ではなくて、一番おいしいから売れるという信念をもってやっていたという事です。
ということは、ライバルを増やしつつも、自分の味を進化させていったということです。
いまでも、その考え方は生きていて、「ふくや」さんが求める人材は、自分でどんどん進化していける人を求めているようですね。
その考え方から、福岡が明太子の産地として知られて行って全国区になったということです。
さらに、川原俊夫社長は、息子の川原正孝社長に行ったことが二つあります。
- 運を良くするには、運のいい人(私心がない人)と付き合う。
- 受けた恩は石に刻め、与えた恩は水に流せ
です。
一番初めに決めた「人のために生きる」ということをずっと考えていた人なんです。
地域の人のために考えて、明太子を広めて行って、一大産業にして行ったんです。
ですから、その意思をついで社長になった川原正孝社長は、現在は180億円の年商をほこる明太子業界では老舗のナンバー1企業になったんです。
実は、父親の川原俊夫社長は、現金仕入れの現金販売しかしなかったので、2店舗しか広げなかったんです。
その間に、明太子を教えた他の企業は、東京進出とか、企業に進出とかして行って、大企業になっていたんです。
そこに、川原正孝社長が入社して、多店舗販売とか、通販、明太子以外のものの販売とかを取り入れて、大きくしたんです。
今回の「カンブリア宮殿」では、川原正孝社長の言葉がいろいろ出てきましたが、多くは、初代の川原俊夫社長から受け継いだDNAだと思います。
川原正孝社長の夢は、100周年の時に、多くの人から感謝されることだと話されています。
その為にされることを、楽しみに見ていきたいですね。
まとめます。
福岡の明太子の老舗「ふくや」の川原正孝社長が、「カンブリア宮殿」で明太子を全国区にした経営の戦略を話されます。
それは、自分が人にやったことに見返りを求めないで、人からしてもらった事は胸に刻め!ということです。
いってみれば、惜しげもなくいろんなものを与えてあげろということですね。
そうすると、いつのまにか自分の所にリターンが帰ってくるということです。
明太子のレシピを教えたことも同じです。
儲かるからと言って誰にも教えなかったら、これだけ日本中の人が知っているような明太子にはならなかったと思います。
そして、それが巡り巡って自分たちの売り上げに還元されているわけです。
川原正孝社長は、「ふくや」の社員にいつも、ABCをしっかりすることを言ってるそうです。
ABCとは、
「あたりまえのことを、バカみたいに、ちゃんとやること」
だそうです。
それができていなくて、文句ばっかり言ってるので、多くの人は人生に失敗してしまうのではないでしょうか。
そういう意味では、川原正孝社長は、とてもおもしろくて、普通の社長には見えない部分があると思いますので、一度、「ふくや」の明太子を食べてみてはいかがでしょうか。
こちらに、「ふくや」の公式HPのリンクを載せておきますので、観に行ってみてください。
以上、博多の明太子の老舗「ふくや」の記事でした。
ふくやさんの商品についても記事を書きました。是非、ご覧になってください。
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