九州パンケーキの村岡浩司社長が、「カンブリア宮殿」に出演されます。
村岡浩司社長は、一平寿司の社長でもありますが、タリーズや九州パンケーキの会社も立ち上げて海外に進出されています。
なぜ、寿司屋の社長がパンケーキの会社を作ったのか?村岡浩司社長の経歴と考え方を見ていきます。
お好きな所からお読み下さい。
村岡浩司社長の経歴
村岡浩司社長は、
- 1970年生まれの45歳
- 宮崎県宮崎市出身
- 宮崎県立大宮高校卒業
- コロラドメサ大学中退
高校の時は、引っ込み思案の山岳部だったそうです。
実家のお寿司屋さんは、村岡浩司社長が生まれる4年前に創業されています。父親の村岡正二さんが、作曲家の平尾昌晃氏のためにレタス巻を作ったことで有名なお寿司屋さんです。
そのお寿司屋さんを継ぐのが嫌だったのと、、おそらく自分を変えたいという欲求で、アメリカに渡ります。
そして、大学の時に、事業を始められました。
アンティーク家具や古着を取り扱う事業です。
かなりうまく行っていたようで、大学を中退して日本に帰ってきて事業を拡大されました。
ただ、28歳のときに、仕入れで大失敗をされて、家業のお寿司屋さんを継ぐことに。
寿司職人の修行を初めます。
そして、3年後、タリーズを宮崎に呼びます。
これは、九州の1号店です。
九州に進出する時は、人口の多い福岡というのが定番ですが、村岡浩司社長が、タリーズの社長を口説き落として宮崎に出店させたようです。
現在では、6店舗のタリーズを経営されています。
その時からだと思うんですが、地元、宮崎を発展させようという考えが大きかったのではないかとおもいます。
タリーズ以外では、「CORNER」というカフェとか、お蕎麦屋さんを経営しています。
九州パンケーキは、平成25年の「第1回地場もん国民大賞」の金賞を受賞されていますので、平成20年くらいから、考えられていたのではないかと思います。
その後、台湾や、シンガポールにも出店したり、日本でも600店舗で小売りできるように卸をされています。
これは、1軒のお寿司屋さんでできる話ではないです。
やはり、そこには、学生時代にアメリカに渡っていったような、ものすごい行動力があるのではないでしょうか。
※ 九州パンケーキについての記事はこちらからご覧ください。
村岡浩司社長の考え方
宮崎には、「街市」というものがるようです。
これは、宮崎県産のこだわり食材を商店街に集合させるもので、一種の楽市楽座みたいなものだと思います。
垣根がなくなって、多くの人が集まってきたときに、村岡浩司社長は、「自分にできることは何か?」を考え始めたと話されています。
その結果、九州パンケーキが生まれました。
ただ、パンケーキも初めて、小麦粉の仕入れも初めて、という状態で、四苦八苦されたそうです。
九州各県を回って、良いパートナーを見つけに歩いたそうですが、かんじんのパンケーキがおいしくなかったそうです。
もう、これでおいしくなかったらあきらめようと思って、とっさにひらめきでレシピを変えた所、ものすごく美味しいパンケーキができたそうです。
それが、九州パンケーキの始まりでした。
村岡浩司社長の夢は、九州パンケーキが宮崎の子供たちのソウルフードになることです。
小さいころ、食べたよね。って思い出してくれるくらいに、多くの人に食べてもらいたいと話されています。
それと共に、地元でとれたイイモノを見直していくことが大事だとも言われます。
これからの時代は、なるべく目に見える形で食材を加工したり、流通させていくことが大事のような気がします。
まとめます。
九州パンケーキの村岡浩司社長が、「カンブリア宮殿」に出演されます。
村岡浩司社長は、地産地消はもとより、地方から世界へ打って出ようとされています。
今までは、中国や東南アジアなどから入ってくるだけでしたが、これからは、日本から発信していくことが大事だと思います。
それは、情報だけでなく、商品もそうですし、サービス、考え方など、多くのものを海外に輸出していくことができるはずです。
そうすることによって、日本もさらに伸びていったり、成長していくことができると思います。
以上、九州パンケーキの村岡浩司社長についての記事でした。
九州パンケーキや、他の「カンブリア宮殿」に出演された方の記事も書いていますので、ぜひご覧ください。
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